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朝活学びメモ

更新日 2020/12/12(土)

今朝の学びメモ 2020.12.12


今朝は、「いか超」こと「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を読みました。


すらすら読めるようになっていることが驚きでしたが、読んだ後はやはり眠りました。約100頁くらい読めました。


面白かったのは、今年一年農園で毛虫(動物)を観察し植物の成長を観察し、ハロウィンにバイオダイナミック農法についての批判をいただいたことから鉱物を体験しタンパク合成を演じた体験をしましたが、この本の中にそれがどの位置にいるのかということが説明されていて自分を客観的にみることができました。

父に手紙をもらったことで勇気を受け取り、それは、火の試練がここまで続いていたのだということ、そしてそれが終えたことが理解できました。


農業講座第7講の質疑応答を読む意識はまったくなく、「いか超」でした。

でも、「いか超」にも栄養と消化と、種についても書いてありました。


今年とれた小豆を見たときの感情が、ここにある内容で説明がつくなと思った。

 P.79.L4の途中から

『この植物も枯れ死ぬ時が来るであろう、と考える別の思考と感情の行によって継続される。―――今私が目の前に見る植物のうち、残るものは何一つないであろう。しかしその時こそ植物はすでの翌年新しい植物に成長すべき種を自分の中から作りだしているに違いない。ふたたび私は、自分が今見ているものの中に、見えない何かがひそかにいとなまれていることに気が付く。そこで私は次の考えに没頭する。今美しいい彩を見せているこの植物はしばらくたつともはや存在しなくなるだろう。しかし種を作るという事実を通して、私はそれが無に帰してしまうのではないことを理解する。植物を無への消滅から護っているもの、それを私は今眼でみることはできない。ちょうど私が種の中に、今ある植物の姿を見ることのできない何かが存在している。この思考内容を私の中でいわば活性化し、私の中のふさわしい感情をそれと結びつける時、しばらくそてからふたたび私の魂の中にひとつの力が育ってくる。そして、この力が新しい直観となる。ふたたび一種の霊的な焔が植物から生じてくる。勿論今度の焔は前に述べたものより当然大きな広がりを示す。その焔の中央の部分には緑がかあった青が、その周辺の部分には黄がかった赤が感知される。』



植物が種を残して枯れていく姿は、人間の出生と死のいとなみを重ねることができるなぁと思う。



生死の霊的観点から

 p.81L3『出生と死とは存在のひとつの変化の相であるに過ぎない。ちょうど蕾から花への移行が、外的感覚の前で演じられるひとつの変化に過ぎないのと同じように。』


生死の外的感覚の観点から

 P.80L15『ある存在の出現が誕生と共にはじまり、死と共にその存在が消滅する』


 P.80L11『事物がその人に現在の存在の相においてだけではなく、肉眼が何も知覚できぬ霊の作用を見るようになる』


生成と消滅の繰り返しは、タンパク質を生成するしくみの中でも働いていると今年は考えられた。地球上のすべてのものは、生まれて消えていくなかで本質的な物を育てて行っているのではないかと思う。


死は恐れるものではなく、次への生への移行に過ぎないということが農業は教えてくれていると私は思う。


震災後に読んだ「モモ」ミヒャエル・エンデ著の中にも自我と時間について書いてあったかと思う。



雨上がりに農園に行くと、畑の野菜の緑が淡く前日より一回り大きく見えることがあり、エーテル体の躍動を感じると思うことがある。

種の中には、その躍動の可能性を秘めているということが感じられたことに感謝します。


それはつまり、私の存在が消えた(死んだ)ら、次の生が用意されているということなのだろうと思います。


今の行いがその栄養になる。

ということを、シュタイナーの農業講座や医療では伝えているのではないかという学びが私に栄養を与えてくれています。

今日はう〇こ出なかったなぁ(笑)



橋本京子